河端鼈甲について

はじまりROOTS

明治40年、初代河端親雄が長崎の二枝鼈甲店で二枝貞次郎に師事し細工技術を習得。その後、昭和25年に上京し東京都東十条に河端鼈甲を開業。自身のお店で製作、販売をしながら浅草などの鼈甲専門店の仕事を請け負う。
昭和40年、会社員だった俊昭が会社を辞め修行に入る。親雄亡き後、同じ東京都北区内で工房のみの場所に移転し和楽器店や鼈甲専門店の仕事を請け負う。


鼈甲(べっこう)業は約400年におよぶ歴史をもち、奈良県にある東大寺の正倉院にも鼈甲を使った宝物が残っているなど非常に古くからある伝統工芸産業です。 原材料となるのがカリブ海、インド洋の赤道付近に生息するタイマイというウミガメの甲羅で、大きいものは全長180cm、体重200kgにもなります。 タイマイは絶滅危惧種としてワシントン条約以降国際取引が禁止され1993年以降は全面輸入禁止となっています。 現在流通している鼈甲はワシントン条約前に各職人が仕入れた材料です。

もともと東南アジアやカリブ海周辺の国や地域でタイマイは古くから食用とされており甲羅は破棄していたそうです。 食用として捕獲された後の甲羅を再利用する。そんな無駄のないサイクルが確立されていたところ、一部の悪い人たちが高価に取引される鼈甲や象牙に目をつけ密漁、 乱獲し保護の対象になった経緯もあります。 現在は国と都が江戸鼈甲伝統工芸の保存を目的として石垣島でタイマイの養殖に成功し材料の安定確保が可能になり始めています。 鼈甲細工の工程は、甲羅から生地を切り取り、製品の形と柄の位置を決めて切り出した数枚を水と熱で貼り合わせます。この貼り合わせの際の湿らせ方や温度、 圧力の加減などが仕上がりを左右するため、長年の経験と熟練がものをいいます。形を整え、最後に磨きあげて仕上げます。 櫛(くし)や簪(かんざし)など和装に合う伝統的な装飾具や三味線の撥(ばち)、 眼鏡のほかデザイン性を高めた現代のアクセサリーまで天然の鼈甲の艶と肌触りは幅広い世代の方に愛用せれています。

河端鼈甲KAWABATA BEKKO

森 俊昭
Mori Toshiaki

1942年長崎生まれ
1965年に初代親雄に師事し鼈甲細工の修行に入る
初代亡き後、河端べっ甲を継ぎ独自の技術を追求し象嵌など他素材と鼈甲を組み合わせた作品が評価される
92年JJAジュエリーコンテスト通産省生活産業局長賞
97年北区産業人顕彰
01年東京都伝統工芸士認定
01年東京都優秀技能賞
北区未来を拓く産業人顕彰
日本宝飾クラフト学院講師
趣味 / ジャズ鑑賞 ゴルフ 孫の世話

森 孝裕
Mori Takahiro

1976年東京生まれ
2018年に前職である美容師を離れ、父俊昭に師事し鼈甲細工の修行に入る。美容師時代の経験を活かしアクセサリーを中心に製作する傍ら、三味線の撥や簪、帯留等、伝統的な和装飾具などにも積極的に取り組んでいる
趣味 / サッカー 音楽鑑賞 息子の小さい時の写真や動画をみる

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